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近年において、私の身の回りで起こった「国際化」を感じさせる出来事といえば、なんといっても2002年6月に行われたサッカーのワールドカップでの体験を挙げないわけには行かない。実を言えばこの大変に歴史的な大会に、私は売店スタッフとしてその運営に携わったのである。 この歴史的行事におけるスタッフとしての話が舞い込んできたと同時に私は新潟で行われる全3試合とも、参加することを快諾した。学校をそっちのけだったというのは別の話として、ワールドカップというものをリアルで体験できるという、なにか触れてはいけないものに触れてしまうかのような不思議で何とも言えない気分によって私の胸はいっぱいなったのは未だに忘れられないが、それ以上に心配もあった。文化も言葉も違う人々が様々な国からやってくる状況で、うまくコミュニケーションがとれるのかという恐怖に近いような不安感がまさにそれだ。 しかしながら、今になって改めて考えてみるとその心配は全くの杞憂であった。3日間で私は何カ国の人々とコミュニケーションをとったのはわからないが、1つ実感したことがあった。言葉がなくてもコミュニケーションはできる、と。とりわけ、私が理解できる外国語といえば簡単な英語にほぼ限られるのだが、会場にはスペイン語を話すメキシコ人、またクロアチア語を話すクロアチア人も多数来場していた。しかも、私以外の周りの売店スタッフにおいてもスペイン語、ましてやクロアチア語などを話せる人はほとんど存在しなかったのだ。 そのような状況下で私は言葉では意思疎通がしにくい状況でも、人間というものには与えられたものを最大限に利用してコミュニケーションを行うという、優れた能力を持っていることを実感した。お互いに分かる言葉はわずかな英語だけ。そういった中でも、人間というものはジェスチャーを併用して、金銭の収受まで行えてしまったのだから、そう思わずにはいられなかったのである。 ワールドカップでの諸々の体験において、私の中での「外国人感」と言うものは180度変化した。それまではといえば、外国人といえば「言葉も通じないし、考え方も違うだろうから、近づかないほうが無難」といった先入観が私の中でうごめいていた。しかしながら、この考えが「言葉は通じないかも知れないが、同じ人間なのだからどうにでもなるだろう」とまで変化したのであるから、これは我ながら評価できることだと思う。 21世紀が国際化の時代と呼ばれて久しいが、この兆候はインターネットなどにも見てとれる。個人でも外国の話題がリアルタイムで手に入るというのが、まさにそれである。情報が行き来するのであれば必然的に人間の往来も増加していくであろう。そのような状況下において「外国人はちよっと……………」などとは言ってはいられない。脳みそも国際化しなくては! |
